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《解説》百塚88号墳の保存問題について

 

百塚88号墳は、淀江町小波に営まれた総数120基余の古墳からなる百塚古墳群のなかで、わずか2基しかない前方後円墳のうち、現存する唯一の前方後円墳(全長26m)である。古墳群を構成する大半の古墳は、戦前・戦後の開墾等で、すでに姿を消している。多くは、文化財保護の意識や法整備が十分ではなかった時代のことである。それでも、先人達は、前方後円墳である88号墳は壊さずに残していたのである。現在、百塚88号墳の所在地は、米子市の市有地になっている。

2008年、百塚88号墳のある一帯に産業廃棄物最終処分場建設計画がもちあがった。翌年、米子市は百塚88号墳の試掘調査をおこない、「規模が小さい、保存状態がよくない、盗掘されている」などの理由で、記録保存(古墳を壊す前に発掘調査をおこない、どういう古墳であったかを記録として残すこと)でよいと判断し、鳥取県も同意した。

一方、計画地の周辺には、大山の伏流水がもたらす湧水地が多いことから、開発計画を知った地域住民から建設反対の声があがった。鳥取県の平井知事は、住民の不安を払拭するために、2019年11月、精密な地下水調査を実施することとし、その結果次第では、計画を白紙に戻すこともあり得ると公言した。調査結果は、2021年度末に出る予定である。

しかるに、その結果がまだでていない2020年6月、百塚88号墳について、記録保存のための発掘調査が始まった。その結果、横穴式石室と大型の箱形石棺を埋葬施設にもつ6世紀後葉の前方後円墳であることなどが明らかになった。これにより、百塚88号墳は、淀江では年代と構造がわかる数少ない重要な古墳として位置づけることができた。さらに、墳丘の盛り土をたち割って調査したところ、盛り土が土嚢積み工法で構築されていることが確認された。土嚢積み工法は、ヤマト政権との関係性のもとで導入された技術とみられており、淀江平野の東側に位置する妻木晩田遺跡内に存在する晩田山28・29・30号墳の3基の比較的大型の円墳でも用いられている。淀江平野の東と西に位置する両者の関係性が気になるところである。

調査の結果、埋葬施設の石材は撤去されたが、墳丘は半分近くを残したまま終了し、残存した墳丘は放置されていた。2020年12月の定例県議会で、地下水調査の結果がでる前に記録保存のための発掘調査がおこなわれたことを問題視する議員の質問に対して、知事は「地下水の調査を行って、そこで結果がどうなるか分からないというのであれば、現状保存」という考えを述べた(定例県議会議事録より)。その後まもなく、残っていた墳丘は、開発業者によって覆土と土砂流出を防ぐための植栽がおこなわれた。

こうして百塚88号墳は、覆土に保護されながら、運命の審判を待っている。                    ( 2022.2.1)

★2020年11月21日 撮影
百塚後円部.jpg
記録保存のために、墳丘を断ち割り調査をした結果、土嚢積み工法が確認された。写真の墳丘の断面に土嚢の断面がみえている。
★12月5日、6日 撮影
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墳丘をかなり残したまま、「調査終了」
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​墳丘の下から弥生時代の建物跡がみつかった
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​墳丘はまだ残っている。丘陵の切れ目から島根半島がみえた
★12月27日 撮影
20201227②
半分近く残った墳丘はむきだしのまま放置されていたが、11月定例県議会で、まだ地下水調査の結果がでていないのに、「記録保存のための発掘調査」がおこなわれたことについて質問された際、知事は「結果がでるまでは現状保存」と答弁し、その後まもなく墳丘はブルーシートで覆われた。
★2021年2月11日 撮影 覆土作業
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★2021年5月28日 撮影 植栽
20210528.jpg
2月5日、開発業者によって墳丘の埋め戻し作業が始まった。畦には、土嚢積みの断面が見えている。遺構を保護する措置は、なにも施されていない。遺構の保護のための覆土とは、とても思えない。「共存案」要望書に対す回答書をみて、合点がいった。これは、古墳を保護するための覆土ではなく、当初の予定通り、調査終了後から工事着工までの期間、古墳を埋め殺しにしておくための覆土にすぎなかったのである。

​百塚88号墳の保存問題について

解説
鳥取県の回答
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