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妻木晩田遺跡

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国史跡・妻木晩田(むきばんだ)遺跡は、弥生時代後期を中心に、紀元前後から3世紀中頃までの大規模な集落と墓地です。遺跡は、日本海を間近にのぞむ妻木山と晩田山にまたがって営まれた、山の上の大集落です。遺跡の面積は約170haあり、わが国最大級の弥生遺跡です。全体の約10分の1を発掘調査し、竪穴建物跡約450棟、掘立柱建物跡約510棟、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓39基、環壕がみつかりました。
弥生時代は稲作を始めたので、集落は平野につくられるのが一般的です。しかし、​妻木晩田遺跡は標高100~150mの山の上にあります。こんなに大きな集落が、こんな山の上にあるのがみつかったのは初めてでした。
 この遺跡は、ゴルフ場建設にともなう調査でみつかりました。発掘調査が終わったら、遺跡を壊してゴルフ場を作る予定で、1996年から発掘調査がおこなわれました。97年に洞ノ原で四隅突出型墳丘墓を含む墳墓群がみつかったことが広く報道され、地元住民や考古学研究者達から保存を求める活動が始まりました。
​ そして99年4月に、全面保存が決まり、その年の12月に国史跡に指定されました。
 四隅突出型墳丘墓は、石列で囲んだ方形の4つの角に突出部がつく独特な形の墳丘墓で、弥生時代後期を中心として、山陰地方に広がる有力者の墓です。弥生時代の終り頃には、北陸地方にも分布を広げます。
 洞ノ原1号墓では、1ケ所の突出部の先端に石がなく(閉じてない)、突出部分には庭石のように3個の石が並んでいました(写真右下の突出部)。突出部は、もともと通路だったと考えられます。
分布図02.jpg
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