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February 2023

​向山古墳群

 国史跡・向山古墳群は、5世紀後葉から6世紀にかけての16基(指定は14基)の古墳からなる古墳群です。そのうち、前方後円墳が9基もあり、この時期の県内最大の古墳群といえます。

向山古墳群分布図.jpg
向山古墳群測量図(『新鳥取県史 考古2』2020年より)
​岩屋古墳(向山1号墳)
岩屋古墳(向山1号墳) 全長52mの前方後円墳。6世紀後葉に築かれた、向山古墳群最後の前方後円墳。南北にのびる向山丘陵の北端に位置し、北側の平野部から墳丘が見えている。平野から見えることを意識して築かれたのかもしれない。後円部東側には方形の造出(つくりだし)部があり、埴輪祭祀の場であった可能性がある。壁・天井とも1枚の巨大な切石で造る石室は、淀江町・大山町に広く流行する形で、出雲地方の「石棺式石室」の流れをくむものとみられる。なかでも本古墳は、前後に2つの石室が連なる複室構造で、2つの石室の仕切りも1枚石をくりぬいて造っている。この壮大な石室をもつことから、通称“岩屋古墳”と呼ばれてきた。墳丘・造出部から馬・水鳥・人物の埴輪がみつかっている。石室前方から金銅製馬具・鉄鏃・釘が出土した。
向山2号墳 全長14.5mの前方後円墳  6世紀中葉~後葉
向山3号墳 全長39.0mの前方後円墳 5世紀後葉
向山4号墳 全長64.5mの前方後円墳 5世紀末~6世紀初頭。前方部に方形の造出部がある。
長者ケ平古墳(向山5号墳) 全長48.5m、前方部が短い帆立貝型前方後円墳。 6世紀中葉。当地では珍しい自然石を用いた横穴式石室は、全長10mに及ぶ大規模なもの。明治時代に、石室の情報で発見された小さな石棺のような施設から、金銅製冠、三累環頭柄頭、金銅製三輪玉、銅鈴が出土した。
向山6号墳 全長40.0mの前方後円墳
石馬谷古墳(小枝山5号墳) 全長61.2mの前方後円墳。向山に向かい合う小枝山の裾に位置し、向山古墳群と一体の古墳群を形成しているとみていい。埋葬施設は未確認。墳丘から円筒埴輪、朝顔形埴輪、須恵器が出土している。須恵器のなかには、装飾須恵器(子持ち壷)が含まれる。
石馬は、1716年の『汗入郡川西神社御改帳』によると、寺内村(現在の福岡地区)の南西山裾に「石馬大明神」として祭られていたという。明治34(1901)年、地元の考古学者足立正は、東京帝国大学の教授・坪井正五郎を招聘し、向山古墳群等の見学や講演会を実施した。その際、坪井によって、この石馬が、筑紫の国造磐井の墓とされる福岡県久留米市岩戸山古墳の石馬と関連があることが指摘された。1921(大正10)年、鳥取県の依頼によって県内の遺跡調査に訪れた京都帝国大学の梅原末治は、石馬を石馬谷古墳にともなうものという見解を示した。足立・坪井の調査によって高く評価された石馬は、1935(昭和10)年に国の重要美術品、1959(昭和34)年に国の重要文化財に指定された。
​なお、石馬とともに裸体の石人、小石人もある。これらの石製品は地元の石を用いている。これらの石製品は、現在は天神垣神社の収蔵庫で保管されている。
瓶山1号墳 全長30.0mの前方後円墳
瓶山7号墳 全長33.0mの前方後円墳
​                ★参考:向山古墳群パンフレット(米子市教育委員会)
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